watashitachi no kurai mirai

私たちの暗い未来

水玉

 母のお墓参りで片田舎の実家へ帰ると、行く人々の連れる子どもたちが皆揃って小さな浴衣をまとって歩道を駆けていて、その隣をゆっくりと車で追い抜きながら、町内会のお祭りでもあるのかななんてことを思う。

 

「通り沿いの小学校とかでやるのかもね」

 

 と後部座席に乗った彼女が、人の流れを追ってつぶやく。母の死にまつわるいくつかの面倒事がようやく片付きつつあって、時間は問題を解決すると10代の僕に話した人のことを思い出し、はぁそういうものかと当時は気楽に受け止めたのだったけれど、その人の人間性と自身の経験から鑑みても、時間がするのは問題意識を薄めてしまうことだけだと強く実感するのでした。線香を買ったというのにライターが無く、閉めきった車内でちまちまとシガーライターの灯りに線香を押し当てても、煙を立てるのは一度に二三本。結局彼女の買ってきたライターを使って初めからこうすれば良かったなんて言いながら、夏の日向に晒されて腐った仏花の異臭を、線香の匂いが押し流すくらいのあいだ手を合わせる。祭りの余韻を引きずったまま高速道路を駆けて家へ帰り、コンビニへ寄るため少し迂回をすると小さな商店街ではいつの間にか本格的な夏を前に提灯を下げ始めていて、こんな場所でもお祭は開催されるのだという至極当たり前のことになぜか途方もなく安心して提灯の水玉のような灯りを眺めてみたり。故人に関する記憶は掘り起こしても水玉のように歯抜けていて、そのはず忘れたころにふとあらわれて、それからようやく思い出せたりするものなんですね。